どうも。あっきーです!
前回、銀行預金についてのお金の話に続いて今回は
「なぜ学校の義務教育ではお金の知識を養わないのか?」
について話していこうと思います。
お金と生活は切っても切り離せない事柄であるにも関わらず、義務教育でお金の扱い方について教育をしないのか疑問に思ったことはないですか?
僕がひそかにリスペクトしている実業家のホリエモンこと堀江貴文さんも「学校教育は洗脳」と言っています。
まずはその義務教育の始まりから解説していきたいと思います。
最後にお金の教育の話とつながっていきます。
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義務教育の歴史
明治5年 -学制-
1872年、明治5年に初めて義務教育制度が国から発せられました。
それまでは「寺子屋」などの学びの場はありましたが、それらはあくまで個人の任意でした。
そしてそれは国が国民ひとりひとりに教育を受けさせることを強制させることになりました。
これが「国民皆学」です。
義務教育制度のねらい
それまで学びの場は任意だったのにも関わらずなぜ明治になって国は義務教育制度を導入したのでしょうか?
そこには国のこんな思想が掲げられていました。
富国強兵
聞いたことはあるかと思いますが、富国強兵(ふこくきょうへい)とは国家の経済の発展と軍事力の強化を行うことで、学制が発せられるのと同時に国家のスローガンとして掲げられ、近代的な国家をつくり上げていきましょうと謳われていました。
経済的な面
当時の日本国家は、経済的発展を目指すためには資本主義体制の確立をすることでした。
機械を使い、大量生産を行うため、「資本家」は機械を所有し、それを使い大量のものを生み出して経済を発展させていく「労働者」と呼ばれる人材の確保が必要不可欠でした。
社長と従業員、と置き換えると現在の会社の仕組みと同じですね。
政治的な面
明治以前の江戸時代などは武士が戦いに身を置く存在でした。
ですが近代的な軍事力の発展を目指すには、身分に関係なく国民ひとりひとりが力を身に付けなければなりませんでした。
明治5年の学生が発せられた翌年、明治6年には20歳以上の男性には徴兵令が発せられました。
つまり国家が必要としているのは「労働者」と「戦闘員」だったわけです。
義務教育ってつまり・・・
労働者は資本家の決められた指示に従う。
戦闘員は国のために自身を捧げて戦う。
この2つに共通していることは国民ひとりひとりがばらばらの行動をしていては成り立たないということです。
学校の環境を思い出してみると、クラス1つに約数十人の生徒がいます。
チャイムと同時に朝礼、授業、休み時間とありますよね。
全員が同じチャイムで同じ時間に同じ行動をしなければいけません。
この行動から外れた生徒は周りからおかしい人と思われますよね。
つまり義務教育の真の狙いとは、生徒ひとりひとりの自ら考え行動するといった主体性を育むのではなく、言われたことに規律正しく動く(働く)人材を育成することなんです。
これでなぜ学校でお金についての教育がないのかわかったかと思いますが、お金について教える意味がない、むしろ労働者にお金についての知識を得られては困るということです。
工場に従事して精いっぱい働けば豊かになるという教えであるほうが国にとって都合が良かったということです。
最後に
この話を聞いたときに子供の頃から当たり前に行なってきたことがそんな時代背景の中産まれたことだったことに衝撃を受けました。
そんな学校教育を受けただけではお金の知識に乏しいのは当たり前です。
今は情報化社会になりあらゆる情報が一瞬で手に入る時代です。
世の中お金のことについて不明なことたくさんあります。
自分で勉強し、マネーリテラシーを養っていきましょう!
最後まで読んでいただきありがとうございました。